Cranbourn Street~From the United Kingdom
2025.04.15
この通りの名はご存知ないかもしれませんが、ロンドンを訪れた人なら一度は通っていたかもしれません。コヴェント・ガーデンとレスタースクエアをつなぐ通りのひとつです。友人と早めの夕食を終え、別れてきたところにこの通りに出会いました。夏至の頃のロンドンの午後7時半はまだまだ明るく、午後の時間のようです。ロンドンの人たち、観光客が往来しています。ここで彼女は働いていたのです。
日本にも何度も来たことがある、イギリスの画家ジョン・エヴァレット・ミレイの絵画、<オフィーリア>。緑と花々の川をオフィーリアが仰向けに流れていく1枚は今では有名になりました。この画のモデル、エリザベス・エレノア・シダルがこのクランボーン・ストリートの帽子屋でかつて働いていたのです。時代は1800年半ば、ロンドン南部のサザークに住むエリザヘス・エレノア・シダルことリジーが通った場所。この通りの帽子屋で、色白の腺病質な雰囲気の、それでも鮮やかな赤毛を持つリジーを、ある画家が見出したのです。それが全ての始まりでした。
リジーはラファエル前派たちのモデルを務め、<オフィーリア>をはじめ、絵画にその姿を残すことになります。ラファエル前派の中心人物の画家、ダンテ・ガブリエル・ロセッテイと恋仲になりますが、ロセッティは多情で他の女性とも関係を持っていました。長い年月結婚もできず、リジーは歳をとっていきます。やがて好意を抱く女性の結婚で踏ん切りがついたのか、ロセッティもリジーと結婚します。それが1860年。ロセッティ32歳、リジー31歳の遅すぎる結婚でした。
そして冬の夜、ロセッティがレスタースクエアへ外出して帰宅すると、意識のないリジーが横たわっていました。当時精神安定のために服用が許されていた、アヘンチンキの過剰摂取が命とりになりました。けして自殺ではない、事故と思いたいのですが、心身ともに弱かったリジーは天に召されました。ひとり帰らぬ夫を待って、暗く長い冬の夜は耐えられなかったのでしょうか。死は思うところに舞い降りてきてしまいます。
早世してしまったリジーですが、若き頃このクラムボーン・ストリートで朝早くから、時には夜遅くまで帽子屋で働いていた姿を思い浮かべました。ロンドンの建物は古いものが多く残されています。この一角のどこかで生きていたひとりの女性は、もう画の中だけになってしまいました。