Samuel Johnson~From the United Kingdom
2024.12.13
「烏麦はイングランドでは動物の餌だが、スコットランドでは人も食べる」。何とも偏見に満ちた説明文ですが、18世紀に英語の辞典を編さんしたサミュエル・ジョンソンの烏麦、オーツ麦の解説です。まだ英語の言葉の意味をまとめきれていない18世紀。サミュエル・ジョンソンは英語の辞典を編さんした人物として、その名を残しました。
サミュエル・ジョンソンはイングランド中部の書店の息子として生を受けました。オックスフォード大学に進学するのですから、学はあったのでしょう。でもお金がありません。大学での勉強を諦め、ロンドンで文を売って生計を立てます。しがない物書きはクラップストリートライターは呼ばれ、ジョンソンも細々と生活をしていました。クラップストリートはロンドンにある通りで、サミュエル・ジョンソンの英語辞典には「けちな史伝、辞書等の著者が住んでいたロンドンの通り」とありました。そんな冷淡な表現を持つサミュエル・ジョンソンですが、幅広い知識と話のセンスがあったそうです。合体の大きい風貌から、いつしか人々の話題の中心にいるようになりました。著名な詩人、劇作家、画家たちと知り合い、知己を得ていきます。
そしてその知己から英語の辞典を作る、その命にサミュエル・ジョンソンが当てられます。莫大な報酬で執筆の契約を結び、英語辞典の編さんに1人で着手します。やや偏見と誇張を帯びた英語の意味を書きつつ、1755年に9年かけて完成します。フランス語の辞典が50年もかかっているので、サミュエル・ジョンソンの辞書は相当な速さで書かれました。
180センチ以上の体躯に合った旺盛な食欲、豪放磊落という日本語がぴったりなサミュエル・ジョンソン。街のパブでもその存在は大きかったようです。通い続けたそのパプの1階にサミュエル・ジョンソンの絵が掛けられていました。気難しそうな怖い表情ですが、奥様は20才も年上の未亡人だったとか。ますますその人物像が想像できない、サミュエル・ジョンソンの一端のお話でした。
※写真はサミュエル・ジョンソンが行きつけだったパブで見つけた肖像画です。