Kelmscott Manor~From the United Kingdom

2024.09.30

英国史雑学

イギリスの工芸家・意匠家のウィリアム・モリスは、2つのケルムスコットという名の家を持っていました。1つはケルムスコットハウス、もう1つはケルムスコットマナー。でも場所は違います。ケルムスコットハウスはロンドンで、ケルムスコットマナーはコッツウォルズに今もあります。

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モリスがコッツウォルズのケルムスコットマナーに住み始めたのは1871年。コッツウォルズのケルムスコット村の自然をモリスはとても気に入っていたようです。ケルムスコットマナーの近くには小川があり、その名はケルムスコットブルック―ケルムスコットの小川と呼ばれています。モリスは水辺近くで暮らすことが多かったようです。青年時代の実家の裏には水路があり、新婚時代の暮らした家の近くに小川がありました。

広い空に、鳥がさえずり、風が渡る生活。それはロンドンの街中では味わえない生活です。モリスは都会の喧騒から離れて、穏やかな生活を欲していたのでしょう。ケルムスコットマナーは地元の農夫が1570年に建てた田舎家。代々その農夫の家族が暮らした家でしたが、1734年に家主が亡くなった後は貸し出されることになります。石灰岩の優しい壁面は風景とよく合い、モリスも気に入るところだったのでしょう。

モリスはこのケルムスコット村を「地上の楽園」と呼び、先輩の画家のダンテ・ゲイブリエル・ロセッティと共同で借りることにします。ロセッティはモリスの妻のジェインを最初に見出し、ずっと愛情の念を抱き続けています。モリスはそれを知っていても同じ家で暮らそうと考えていましたが、それはなかなか難しい生活です。2人の娘たちとモリス夫妻、妻の愛人のロセッティとケルムスコットマナーでの暮らしが始まるはずでしたが、モリスはすぐにアイスランドへの旅に出てしまいます。

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モリスは働き続け、妻との生活より仕事に明け暮れます。ロセッティの精神を病んだ状態は悪くなる一方で、薬漬けになる姿をジェインは見てられなくなります。やがて2人は破局し、1882年にロセッティは死没。それでもジェインはモリスとともにいなかったようです。ロセッティの死後も別の男性との関係を続け、モリスもロンドンの家をテムズ河沿いに見つけケルムスコットハウスと名づけます。ケルムスコットマナーにモリスの場所はなかったのでしょうか。

心中穏やかではなかったモリスを癒してくれたのは、ケルムスコットマナーのガーデンにありました。モリスの好きな季節の草花に囲まれ、仕事は順調に進んでいきます。今も残るテキスタイルのデザインはケルムスコットマナーを彩ります。ジェインの寝室にはモリスの名作「柳の枝」が選ばれていますが、これは1887年の作品なので当初は違ったと思われます。

でもモリスはケルムスコットに帰ってきます。亡くなった後ケルムスコットマナー近くの教会に埋葬されました。メモリアルコテージが造られ、その外壁にモリスの姿がレリーフされます。鳥のさえずる木の下で、空を見上げるモリス。一生懸命に働き続けたモリスの安息の場所、それががケルムスコットの豊かな自然でした。ケルムスコットマナーとモリスの眠る聖ジョージ教会の間の小径から、空を見上げるモリスの姿を見ることができるそうです