London Wall~From the United Kingdom

2024.10.29

英国コラム

ロンドンの壁。ロンドンは遠い昔、実はローマ人たちに支配されていた時代がありました。ケルトの人々はそのローマ人たちの砦を、ロンディニウム―沼地の砦と呼んでいました。ローマロンドンとも呼ばれるこの時代の首都が、そのロンドンウォールの中に築かれようとしていました。テムズ河の東、今のロンドン塔に近くにその遺跡はまだ残っています。

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今のロンドンの地名には、ゲイトという門を意味する場所がいくつか残っています。ロンドン地下鉄のムーアゲイト、オールドゲイトなど、それらがロンドンウォールの関門の名残りです。北方向はビシッョプスゲイト、ムーアゲイト、西はラドゲイト、ニューゲイト、東はオールドゲイトなどに関門は造られていました。ロンドンウォールの中には円形劇場、市場、共同浴場などもあり、ローマ人たちのコミュニティになっていたようです。

ロンドンウォールはその一部が残っています。地下鉄のタワーヒルの駅を降りると、ロンドンウォールはすぐです。城壁は高さが10メートルちょっと。なかなか威圧感があります。ローマ人たちが去った後も、ロンドンウォールは長い間残っていました。けれどロンドンウォールの中には宮殿はありません。11世紀後半にウィリアム征服王が即位した場所は、隣のウエストミンスターパレス、今の国会議事堂でした。その後、ロンドンウォールの西にロンドン塔を建て、そこを砦として外からの警護にあたりました。ロンドンウォールの中は商人の町へと変わっていきます。

元々イギリスは侵略されていた島国。氷河期にはネアンデルタール人が陸続きだったため大陸から移り、また紀元前3000年頃には、ビーカー人たちがブリテン島に渡り、環状列石―ストーンサークルを築いていきます。紀元前700年頃には、大陸からケルト人たちが移り住み、やがて鉄器を持つブリトン人たちが渡って来ます。ブリトン人たちが来ると、ビーカー人たちは疫病でやられてしまいます。ブリトン人たちの持たない免疫の病が広がったからです。今ブリトン人たちのDNAは遺っていないと言われています。

ローマ人たちの遠征と征服。その後にゲルマン族の大移動、アングロサクソン人たちがブリテン島に渡ります。侵略と疫病。歴史のくり返しはロンドンでもありました。ロンドンのはるか昔にロンドンウォールがあり、その中にはローマ人たちがいたとは… 今のイギリスを知る私たちには想像ができないお話です。

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