Lady Isabella, Countess of Hertford~From the United Kingdom
2025.01.17
イザベラは初代ハートフォード伯爵夫人。イザベラも第2代グラフトン公チャールズ・フィッツロイの娘ですが、初代フィッツロイ公はイングランド国王チャールズ2世の非摘出子、つまり認められない嫡男として誕生しています。夫とはまだコンウェイ男爵だった頃の1741年、15才でイザベラは嫁いでいます。
ケンジントンパレスで見つけたイザベラの肖像画は、たおやかで上品な笑顔を見せてくれています。気品のあるドレスで身をまとい、首元までのレースの襟、右手だけの手袋は扇子を支えています。ケンジントンパレスのうす暗い部屋でもその愛らしい顔立ちと姿勢は光っていました。肖像画は1765年頃に描かれたもので、イザベラは39才の時のもの。肖像画は夫の駐在先だったパリで、画家アレクサンダー・ロズリンがドレスの質感、宝飾品の輝きまでも巧みに表現しました。
それとは違ったイザベラの風刺画も残っています。当時とても人気を博した風刺画家のジェイムス・ギルレイが、ハートフォード伯爵夫妻を2度ほど登場させました。当時の容赦ない風刺画。揶揄されて1枚の画ではイザベラはねずみの顔にされてしまい、何かつぶやいています。イザベラは1768年にイングランド国王ジョージ3世の妃、シャーロット王妃付きの寝室女官に任命され、ハートフォード伯爵も政治家でしたから、その時々のいろいろな情勢で矢面に立つこともあったのでしょう。
イザベラは13人もの子どもたちに恵まれ、全員が幼くして亡くなることはなく、大勢の孫たちに恵まれます。貴族の家は長男しか継げないので、それぞれが屋敷を出て独立していきました。1782年、テムズ・ディットンに出かけた折にイザベラはひどい風邪をひいてしまい、そこで56才の生涯を終えてしまいます。孫の看病でディットンへ出向いていたようです。ハートフォード伯爵の悲しみはとても深いものでした。愛情に満ち、敬意のあるお暮らしが伺える伯爵の言葉が残っています。
She was always proper, either in the highest life or in the most domestic.
彼女は最上の生活においても、家族だけの内々の生活でも、つねにきちんとしていた。
肖像画でもイザベラのその所作はわかるような気がします。肖像画を描いた画家アレクサンダー・ロズリンは、洞察力に富んだ人物だったようです。イザベラの穏やかな笑顔の肖像画は世界中の美術館に貸し出され、今でも多くの人たちに見つめられています。