Mary Ⅱ~From the United Kingdom

2026.01.16

英国史雑学

メアリー2世は17世紀のイングランド、スコットランド、アイルランドの君主でしたが、実は君主はもう1人いました。メアリー2世の父親はイングランド王ジェイムス2世、母親はアン・ハイド。父親が起こした名誉革命でちょっとねじれた継承にしまったのです。

  • MaryⅡ~From the United Kingdom

父のジェイムス2世はメアリー2世の実母が亡くなると、若いメアリー・オブ・モデナを後添いとします。2人の間に誕生したジェイムズ・フランシス・エドワード・ステュアート王子。この世継ぎ誕生が名誉革命を引き起こします。結局カトリック教徒のメアリー・オブ・モデナとともに、君主であるジェイムス2世はインクランドを去ることになりました。イングランドからカトリック勢力の排除しようとする力が働いたからです。

さて次の君主は誰になるのか、その王位に就くことになったのがジェイムス2世の先妻の子、メアリー2世だったのです。イギリス議会はジェイムス2世を退位させ、メアリー2世を王位に就けようとしますが、夫のオランダ総督のウィリアム3世が妻に服従はできないと主張し、共同統治という形に収まりました。

メアリー2世はとても身長の高い方で180センチあったと言われています。夫より10センチも高く、その上君主になられてはウィリアム3世の立つ瀬がありません。その堂々とした容姿はメアリー2世の数々の肖像画として残されていますが、お2人並んだものはあまりないようです。やはり身長の釣り合いがとれなかったのでしょうか。また何度も流産されたメアリー2世。残されたお子さまたちはなく、メアリー2世は32才の若さで他界されました。

ケンジントンパレスにはメアリー2世の亡くなった部屋がありました。初めてパレスを訪れた時に流暢な日本語を話すスタッフの方に、「ここで女王は天然痘で亡くなりました」と説明を受けたことがあります。1695年3月の女王の葬儀では音楽家ヘンリー・パーセルによる「メアリー女王の葬送曲」が演奏されました。美しいメロディが印象的なこの曲は、1972年の映画「時計じかけのオレンジ」で編曲されています。

その7年と3カ月後にウィリアム3世が没するとまた世継ぎ問題です。結局メアリー2世の妹君のアン女王が即位。映画「女王陛下のお気に入り」のアン女王です。メアリー2世とは同腹の姉妹が次の君主となりました。