ロンドンの街歩きの愉しみ-ブループラークを探してみよう

2025.02.23

英国史雑学

イギリスの街を歩いていると青く丸い銘板が目に入ります。これはイングリッシュヘリテージが著名人のかつての住まいなどに掲げているもの。ロンドンの街歩きではよくこの青い銘板―ブループラークを目にします。どんな人が目の前の場所に住んでいたのか、想いを巡らせながら街を歩いてみましょう。ロンドンではブループラークでたくさんの発見ができます。

Frederic Chopin (1810-1849)

  • Frederic Chopin (1810-1849)

なぜショパンの家がロンドンにあるのでしょうか。それもバッキンガムパレスにほど近い一等地です。1837年にバッキンガムパレスが王室の居城としてヴィクトリア女王が移りますので、ショパンがここにいた時代すでに君主の城となっていました。

フレデリック・ショパンは1810年、ポーランドのワルシャワ公国で誕生します。神童とうたわれますが、虚弱なうえに脂肪分の多い豚肉を消化できない体質のため痩せ細っていました。ショパンの生まれた頃、ワルシャワは世情不安な時代でした。ワルシャワを離れて暮らしていたこともあります。1830年に反乱の起こったワルシャワを離れ、ショパンはやがてパリにたどり着きます。

1831年に「革命のエチュード」エチュード第12番ハ短調、1832年に「別れの曲」で有名になったエチュード第3番ホ短調を創り出しています。この頃ショパンはパリの社交界にデビューし、作曲に恋に忙しくなります。マリアとの恋そしてその終焉、ジョルジョ・サンドとの出会い。生来の虚弱体質から体調不良も続きましたが、1841年にはパリでの演奏会も開催しています。

1848年2月にパリでの演奏会を開きますが、これがショパンのパリでの最後の演奏会となりました。その後ショパンの熱狂的な支持者が、ショパンを故郷のスコットランドへ誘います。革命で騒々しいパリを一旦離れることを決め、1848年4月にロンドンに到着。その年の6月には伯爵家のサロンにおいて、ヴィクトリア女王の前で演奏の機会も与えられます。夏から秋にかけてスコットランドでも演奏会を何度か催し、10月にロンドンに戻ってきます。

ブループラークが掲げられたロンドンの家、それが10月31日から11月23日の1カ月足らず住んだ家でした。ここに住んだ時にはショパンの健康状態は悪く、このロンドンの家では寝ているだけの日々だったようです。ショパンは11月にロンドンのギルドホールで生涯最後の公開演奏を行い、その1年後パリで死去します。

ショパンの最後の演奏会がイギリスだったとは… このブループラークを偶然見つけて調べたことで、ショパンがロンドンにいたことも知りました。

2011年ポーランドでショパンが亡くなった時の写真が見つかったそうです。それは眠っているような横顔です。1849年10月17日、多くの名曲を遺した天才フレデリック・ショパンは天に召されていきました。