ロンドンの街歩きの愉しみ-ブループラークを探してみよう
2024.12.23
イギリスの街を歩いていると青く丸い銘板が目に入ります。これはイングリッシュヘリテージが著名人のかつての住まいなどに掲げているもの。ロンドンの街歩きではよくこの青い銘板―ブループラークを目にします。どんな人が目の前の場所に住んでいたのか、想いを巡らせながら街を歩いてみましょう。ロンドンではブループラークでたくさんの発見ができます。
Charles Darwin (1809-1882)
チャールズ・ダーウィンはイギリスの博物学者であり、地質学者。ダーウィンの進化論があまりにも有名です。ガワーストリートのロンドン大学の敷地には、昔ダーウィンが住んだ家があったそうです。今は大学の生物学棟になり、その壁面に記念のブループラークが掲げられています。
1838年の年の暮れ、若きダーウィンはここに引っ越してきました。翌年1月にはエマ・ウエッジウッドと結婚することになっていました。ダーウィンの新婚時代の家がここでした。でもこの家、ダーウィンと使用人の部屋には資料の標本が占領し、派手な内装と黄色いカーテンで落ち着きはなかったようです。この家は「金剛インコの家」とあだ名をされていたようです。金剛インコは赤や黄、青の極彩色の羽を持ち,くちばしが大きく尾が長く、愛らしいインコのことですが、相当色鮮やかな内装だったのでしょう。結婚前には標本でいっぱいだった部屋は片づけたようですが…
でもダーウィンにとってのロンドンの暮らしは、うるさくて霧が深くて、体調不良が続きます。ダーウィンはロンドンのロイヤル・ソサエティの会員となって、研究を続けるだけの生活では物足りなかったのかもしれません。1839年12月に長男ウィリアムが、1841年にアンがロンドンで生まれます。子どもが生まれたので、1842年9月にロンドンの南の郊外ケント州に引っ越しをします。ロンドンの喧騒から離れて生活の環境を整えたばかりの頃、1842年に次の子のメアリが誕生、けれど生後間もなくメアリは他界してしまいます。
ダーウィンは引っ越した「ダウンハウス」と呼ばれる家に生涯住み続けます。体調を回復しつつ、「種の起源」をまとめ上げていきます。生物は常に環境に適合するように変化していくもので、さまざまな種に変化しながら生物を形成していくと発表。「神が想像主」と信仰されていた時代に大きな衝撃を与えます。神が創った世界を覆すことになってしまいました。ダーウィンが残した言葉をご紹介しましょう。
It is not the strongest of the species that survives, nor the most intelligent that survives. It is the one that is most adaptable to change. Charles Darwin
生き残るのは最も強い種でもなく、最も賢い種が生き残るわけでもありません。 それは変化に最も適応できるものです。 チャールズ・ダーウィン
ロンドンの生活に適応できなかったダーウィンでしたが、その家の跡はブループラークが掲げられて残っています。