ロンドンの街歩きの愉しみ-ブループラークを探してみよう

2024.10.23

英国史雑学

イギリスの街を歩いていると青く丸い銘板が目に入ります。これはイングリッシュヘリテージが著名人のかつての住まいなどに掲げているもの。ロンドンの街歩きではよくこの青い銘板―ブループラークを目にします。どんな人が目の前の場所に住んでいたのか、想いを巡らせながら街を歩いてみましょう。ロンドンではブループラークでたくさんの発見ができます。

Charles Dickens (1812-1870)

  • Charles Dickens (1812-1870)

イギリスの文豪と呼ばれるのはさて、誰でしょう。ウィリアム・シェークスピア、アガサ・クリスティ、コナン・ドイルと、イギリス文学は歴史もあり、今でも人気の推理小説もありととても奥が深そうです。このブループラークの架かった場所にお住まいだったのは、ヴィクトリア時代の文豪、チャールズ・ディケンズ。さてディケンズ、お読みになったことはありますか…

1837年から1839年ここに住んだディケンズは、初期の名作「オリバー・ツイスト」を執筆しています。ヴィクトリア女王も愛読していた「オリバー・ツイスト」。当時からディケンズの人気が高かったことが伺えます。この家に住んだのは長男が生まれて間もなくのこと。弟と妻の妹とここロンドンのダウティ・ストリート48番地に引っ越してきました。年間80ポンドの賃貸料、中流家庭の年収が300~800ポンドの時代ですから、月7ポンドほどの家賃ならおトクな物件だったと思われます。

玄関を開けると廊下と奥に階段、さらに奥には狭いながらも裏庭があります。地下と地上は4フロア、1フロアはそれほど広くはありませんが、居心地の好い室内です。ダイニングルーム、モーニングルーム、ドローイングルーム、スタディルームとそれぞれのベッドルーム。地下にはキッチン、食料やワイン類の保管場所、洗濯場があり使用人たちのワークスペースになっています。地下でも通りや庭から光が入ります。この地下の造りはイギリス住宅では典型的なものです。

けれどこの家で悲しいことが起こりました。妻の妹メアリ・ホガースが外出先で倒れます。この家のメアリのベッドルームに戻ってきますが、彼女はそのベッドの上で逝ってしまいます。まだ17才。姉を手伝うために来た家で帰らぬ人となってしまいました。今でもそのメアリのベッドルームは残っていて、白いネグリジェがベッドの上に置かれています。ディケンズも妻も大きなショックを受け、ディケンズのその後の執筆にも影響を及ぼしていると言われています。

現在この家はチャールズ・ディケンズ博物館として開館しています。ロンドンへ行く機会がありましたら、大英博物館の帰りに寄ってみてください。ディケンズが2年ほどの住んだ家ですが、ヴィクトリア時代の生活や、作品に関するコレクションもあるようです。ロンドンにお出かけにならなくても、公式サイトではインタラクティブツアーで、各部屋の様子や間取りが平面でも立体でも見られるようになっています。

  • Charles Dickens (1812-1870)