Catherine of Aragon~From the United Kingdom
2024.03.25
6人の妻を持ち、己れの再婚のために宗教改革までしてしまった希代の国王ヘンリー8世。その最初の妻がキャサリン・オブ・アラゴンです。スペインからイギリスに、ヘンリー8世の妻になるために渡ってきました。あまりクローズアップされない、最初の妻キャサリン・オブ・アラゴンを今回はご紹介しましょう。
キャサリン・オブ・アラゴンは1485年12月16日生まれ。最初はヘンリー7世の長男アーサー王太子と結婚しましたが、王太子は間もなく薨去され、その結婚は宙に浮きます。スペインからのたくさんの持参金は失いたくない国王ヘンリー7世。ヘンリーは王妃を亡くすとキャサリンは自分の妻にしようと画策しますが、スペインからの反対の憂き目に遭います。1509年にヘンリー7世が崩御すると、結婚を待ちかねていた次男のヘンリー8世は、すぐにキャサリンとグリニッチパレスで結婚することになります。ヘンリー18才、キャサリン24才。戴冠式はその後、ウエストミンスターで行われます。
美しく完璧な女性キャサリンは、ヘンリーの子を次々と身籠りますが、最初の双子の王女は死産、次のヘンリー王子は生後1カ月で突然死、次の王子も死産、また次の王子も死産してしまいます。2人の王女と3人の王子を失った後、1516年にやっと王女メアリーが誕生します。それが後のメアリー1世の誕生、ブラッディ・メアリーとしてその異名を歴史に記した人物になります。やっと生まれ育った子どもがメアリーだけ。どうしてこんなに子どもたちを失ってしまったのでしょうか。キャサリンが敬虔なクリスチャンだったために、妊娠中も断食をしていたのも原因と言われています。キャサリン・オブ・アラゴンは神に祈り続け、子を身籠りましたが、男子が育たなかったことで悲劇は続きます。ヘンリー8世のアン・ブーリンへの心変わり、そしてキャサリンとの離婚に進みます。この離婚はイギリスの宗教改革にまで至ります。
実は知り合いの女優がこのキャサリン・オブ・アラゴンを演じたドラマを観て、キャサリン・オブ・アラゴンに興味が募りました。そのドラマの中では、キャサリンは祈り続け、次の妻になるアン・ブーリンは鏡を見続けていました。アン・ブーリンは目元に老いを感じていたようでした。若き日のヘンリー8世は、世継ぎを作るためにもキャサリンとの仲は睦まじかったようです。その2人の新婚時代が、ヘンリー8世にとっても幸せだった時だと思われました。
※肖像画はロンドンのナショナルポートレートギャラリーで見つけましたが、名がKatherine of AragonのKになっていました。なぜ…でしょう…