ロンドンの街歩きの愉しみ-ブループラークを探してみよう

2024.08.23

英国史雑学

イギリスの街を歩いていると青く丸い銘板が目に入ります。これはイングリッシュヘリテージが著名人のかつての住まいなどに掲げているもの。ロンドンの街歩きではよくこの青い銘板―ブループラークを目にします。どんな人が目の前の場所に住んでいたのか、想いを巡らせながら街を歩いてみましょう。ロンドンではブループラークでたくさんの発見ができます。

Dame Millicent Garrett Fawcett (1847-1929)

  • Dame Millicent Garrett Fawcett (1847-1929)

ミリセント・ギャレット・フォーセットは、女性の参政権―サフラジェット―を獲得するために活動していました。サフラジェットという言葉は、2015年のイギリス映画「Suffragette」―日本のタイトルは「未来を花束にして」で知りました。

ミリセントは1847年の生まれで、姉はイギリスで初めて女医になっています。姉とともにミリセントも私立寄宿学校での教育も受け、自立した女性の先駆けとなりました。1867年政治家だったヘンリー・フォーセットと結婚。けれど夫は1858年の事故で失明をしていました。夫の秘書を務めながら、女性の高等教育を広げようともしていました。しかし夫は1884年に病のため早世します。

ミリセントは22才でイギリスの女性参政権団体のNational Union of Women's Suffrage Societies-NUWSSのリーダーとなっています。Women's Social and Politcal Union-WSPUのサフラジェット、エメリン・パンクハーストの行動で示した活動とは少し違ったようです。自分の命を懸けて、競馬のダービーレースに飛び込んだWSPUエミリー・ディヴィソン。同じ年に「Courage calls to courage everywhere-勇気はあらゆる場所で勇気を呼ぶ」と、ミリセントは演説をします。けれど命1つが消え去った悲しみだけが残ります。

110年ほど前の20世紀初頭、女性には選挙権が与えられていなかったのです。女性の参政権を得るために、テロ行為とも呼べる放火や爆破をくり返したWSPUは、1912年に解散します。翌1918年、30才以上の財産所有者や大学卒業者の一部の女性に、選挙権が与えられる妥協案にミリセントは合意します。21才以上の女性たち全てに選挙権が与えられるまで、さらに10年もの月日を要します。

1897年にNUWSSを結成したミリセントは、少しずつでも途切れることのない女性参政権活動を続けていきます。ミリセントのブループラークのあるロンドンのガワーストリートには、夫との死別後45年間もの長い年月を暮らしました。1928年8月5日、ミリセントはこの家で生涯を閉じます。その前年に女性参政権を得たという吉報を持って、夫の待つ場所へ旅立っていったのがこの家でした。

さまざまな著名人がそこで生活を営み、歴史を積み重ねた同じ場所に、今の人々が暮らしているイギリスの住まい。それを知らせてくれるのがブループラークです。