ロンドンの地下鉄の駅名はどうしてその名になったの?? 名まえの由来を調べてみました
2023.11.01
ロンドンの地下鉄は世界最古で、1863年に開業しました。その頃の日本はまだ幕末。1853年にアメリカから黒船が来航、産業と技術の隔たりを目の当たりにしていましたが、それから10年後にロンドンでは地下鉄が走ることになるのです。地上の鉄道もない日本のその時代に、ロンドンでは地下に鉄道網を造ってしまっているのですから、驚きです。
ちなみにイギリスでは地下鉄をアメリカのサブウェイの呼称とは違い、アンダーグラウンドと表示されています。イギリスのサブウェイは地下道を意味します。
ロンドン地下鉄の愛称はチューブ。その丸い地下のトンネルのカタチそのままが車両になり、ロンドンの地下を巡っています。地下鉄路線によって、丸く狭い地下鉄と比較的広い車両の地下鉄があります。ビカデリーラインはとても古く感じられまさにチューブのカタチ。南北を結ぶヴィクトリアラインも同じくらい狭い車内です。比較的広い路線には、屋外を走るディストリクトラインがあります。また一番新しいエリザベスラインは、プラットホームへ降りていくエスカレーターからも新しく、ロンドン地下鉄らしくないほど違ってピカピカです。
今回は地下鉄の名の由来の本-ロンドン交通博物館の「What’s in a name?」から見つけた、ロンドンの地下鉄の駅の由来をご紹介していきましょう。
最初の地下鉄駅はパディントン
今のハマースミス&シティラインのパディントンから、世界で最初の地下鉄が開通しました。当時のメトロポリタン鉄道がファリンドンストリートまで地下鉄を走らせました。その沿線の駅名の由来をご紹介していきます。
Paddington―パディントン 1863年1月開業
地下鉄開業時の駅名はビショップスロードでパディントンではありませんでしたが、その名の由来を探っていきましょう。パディントンの名は959年にPa din tureと記録があり、Saxon Padaという個人名から、1398年Partyngtonへと変遷しているようです。今ではくまのパディントンの名としても有名になっています。くまのパディントンの像は地下鉄駅ではありませんが、ナショナルレールのパディントンの駅で見つけることができます。Euston―ユーストン 1907年5月開業
ユーストンの名は公爵のカントリーハウスから来ているようです。グラフトン公爵はロンドンの北東部に位置する、ノーフォークとサフォークに境界辺りに広大な領地を持つ貴族でした。公爵のカントリーハウスのユーストンホールがこの地の由来。初代ヘンリー・フィッツロイ公爵がロンドンに家を構えたのが今のユーストン辺りで、 カントリーハウスの名からユーストンと名づけられたようです。ちなみに初代公爵のヘンリーは、国王チャールズ2世の庶子の1人。チャールズ2世がきちんとお世継ぎを成したら、その後に続く君主のねじれもなかったかもしれません。King's Cross―キングスクロス 1863年1月開業
まだイギリスがローマ人に侵攻されていた古代の時代の女王、ブーディッカがローマ人との戦った橋がこの辺りにあったようです。当時はフリート川があり橋が架かっていました。ローマ人と戦ったブーディッカは破れ、キングスクロスの9番ホーム辺りが永眠の地とされています。1756年にユーストンロードが開通し、再開発が始まります。ブーディッカが戦った橋のあった場所にジョージ4世の像が造られますが、それは不評だったようです。1842年にジョージ4世像は壊され、代わってキングスクロスという名の模型も造られ、その名だけが残った説もあります。今ではセントパンクラスと並列して、キングスクロス・セントパンクラス駅と呼ばれています。Farringdon―ファリンドン 1863年1月開業
ファリンドンストリートがあったのでファリンドンストリートの名で開業しましたが、1936年4月に今の名になっています。ファリンドンの名はイングランドには数多くあり、シダで覆われた丘を意味するようです。1863年世界初の地下鉄は、パディントンからこのファリンドンまで4マイルほどの距離をつなぎました。2022年5月にはエリザベスラインの駅も開業。ヒースロー空港からのアクセスも便利になっています。Barbican―バービカン 1865年12月開業
当初はAldergate Streetの名で開業しましたが、いくつか名を変えながら1968年に今の名になっています。元々この辺りにはBabicanaというローマの人たちの見張りの塔があったようです。第二次世界大戦後にバービカンプロジェクトという名目で再開発され、1973年にはロンドンでは珍しい42階建ての住居用のタワーが建設されています。地下鉄なのに地上にプラットホームがあり、バービカンエステートタワーを臨むことができるようです。Moorgate―ムアゲート 1865年12月開業
遠い昔ロンドンに侵攻していたローマ人たちの城塞があり、ゲートをいくつか造り防御の門としていました。この場所にはムアゲートという門があり、その北にある湿地帯のムアフィールドから由来しているようです。地下鉄開業当初は、ムアゲイトストリートの名の駅でしたが、1900年2月に今の名となりました。かつて冬はアイススケートでにぎわっていた場所でもあったそうです。※写真は地上の光が届くパディントン駅のプラットホームと、乗り換えに通りを渡って苦労したムアゲート駅の入口です。
ヒースローからピカデリーライン
ピカデリーラインの開業は1906年でそんなに古くないのですが、とても古い車両が多く、車内も狭く天井も低い路線です。ドアも車両連結部は片開きで、大きなバッグは通れません。2023年に新車両が登場すると聞きましたが、まだ出会っていません。ヒースロー空港からロンドン中心部に向かって、ピカデリーラインのいくつかの駅の名の由来とともにご紹介していきましょう。
Hatton Cross―ハットンクロス 1975年7月開業
ハットンは古い英語のheathの意味で、平らな荒れ地を意味しているそうです。赤紫のヒースと呼ばれる花が秋に咲き、かつて咲いていたヒースの花々が、気の遠くなるような長い年月に堆積したものがピート(草炭)となり、燃料として家と人々を暖めてくれています。今ではヒースロー空港の最寄りのため、エアラインの企業のイギリス本社がこの地に多くあります。Hounslow Central―ホーンスローセントラル 1886年4月開業(ピカデリーラインは1932年7月)
古い英語の「丘」から由来し、1252年にはHaunslaneの名の記録もありそうです。元々はロンドンへ通じる道で、その昔国王を亡き者にしたオリバー・クロムウェルが軍隊を駐留させていたところでした。ディストリクトライン開業時にはヘストン&ホーンスローという名の駅でしたが、ピカデリーラインの現在は、ホーンスローウエスト、ホーンスローセントラル、ホーンスローイーストと、空港からホーンスローの名が連なって停車していきます。Acton Town―アクトンタウン 1879年7月開業(ピカデリーラインは1933年7月)
アクトンは古い英語のoakとtunから発しているようです。16世紀には小さいけれどとてもにぎやかな村ができあがっていったようです。開業時はディストリクトラインの駅ミルヒルパークの名でしたが、1910年にアクトンタウンとなりました。アクトンタウンの発音はとてもわかりやすく、ヒースローから地下鉄に乗るといつも耳に入ってきた駅名です。Hammersmith―ハマースミス 1864年6月開業(ピカデリーラインは1932年7月)
古い英語の「家」と「街」から来ているようですが、その後この地にBlacksmithが住みます。ブラックスミスは鍛冶屋の意味。鉄でモノを造り、それは主に馬に使う蹄鉄で、修理や調整などを仕事にしていました。ハンマースミスからその名をハマースミスに転じ、1675年にはハマースミスの名として記録されているようです。ディストリクトラインとして開業して、後にピカデリーラインも加わります。Earl's Court―アールズコート 1871年10月開業(ピカデリーラインは1906年11月)
その昔は田園地帯だったロンドンに西部にあるアールズコート。オックスフォード伯爵のデ・ヴィア家の所領地でした。伯爵たちのロンドンの邸宅がここにあり、後に伯爵の意味の「アール」からアールズコートの名となったようです。第二次世界大戦後、オーストラリアとニュージーランドからの移民たちが住み、その後海外からの旅行者の宿泊先として人気になります。駅から離れると高級住宅地になり、著名人も多く住んでいた場所です。Knightsbridge―ナイツブリッジ 1906年12月開業
1046年Chihtebricgeの名での記録が残っていて、1364年にはKnyghtesbruggの名でも知られていました。かつては旅人を狙う犯罪多発の場所だったようですが、19世紀に一変。今ではハイドパークの近くには超高級ホテルが建ち並び、ハロッズ、ハーベイ・ニコルズのデパートメントストアの最寄り駅としても有名になりました。Leicester Square―レスタースクエア 1906年12月開業
最初はイースタンカントリー鉄道の駅として開業したレスタースクエア。当初は地下鉄の上にあるクラムボーンストリートの名の予定だったようです。1631年第2代レスター伯爵が大使として渡仏し、その後にこの地に家を構えました。その後レスターハウスが建てられ、高級住宅地として発展していきます。緑地のスクエアは、この集合住宅のパブリックスペースとして造園されたもの。高級なテラスハウスには、住まいから臨める庭としての緑地が必要だったからです。今レスタースクエアの駅はエンターテインメントを楽しむ人たちでにぎわっています。Holborn―ホルボーン 1906年12月開業
古くはフリート川の部分としてその名があり、急な水流の谷を意味していたそうです。951年にはHoleburneとして記録されているようです。大英博物館へのアクセスにも便利なホルボーン駅です。イギリスでチェーン展開する大手スーパーマーケットのセインズベリーズの本社も、ホルボーンが最寄り駅。観光にビジネスに、とても賑わっている駅です。ステップフリーではない地下鉄の駅ばかり😢
ロンドンの地下鉄はエアコンもなかったり、ドアが狭いところもあったり、また改札までステップフフリーで行かれる駅もあまりありません。大型のリフトはあってもそのフロアまでは階段とか、とにかくエスカレーターとリフトはあるのに、階段を昇り降りした記憶ばかりです。
地下鉄の路線図には車椅子のマークのある駅があります。それも2種類あり、Step-free from train to streetが青く塗られた丸と、Step-free from platform to streetが白い丸になっています。その違いは白い丸は駅のスタッフの介助が必要、青い丸は段差がないことを示しています。でもピカデリーラインのアールズコートは段差なしの駅のはずなのに、改札口まで数段ありました。他の改札だったら段差はなかったのでしょうか。その数段をスロープにしてくれたらとつくづく思います。空港から思い荷物を持っている場合は、滞在先の駅は選んだ方が好さそうです。
前回のロンドン到着日のこと。滞在先の地下鉄の駅も、プラットホームから30段ほどの階段は昇らなければなりません。何度も通った駅なのでバッグを持って昇ります。すると後ろから来たオジサマ、ご自分のバッグもあるのに、荷物を持ってあげると2つ持ってくれたのです。そうお若い方でもなかったのに、女性に対して優しくする気持ちはいつまでもあるのです。オジサマ、Tシャツの普段着でしたが、ほんとうのジェントルマンに見えました。
最近、路線ロンドンの地下鉄を路線ごとに撮影しているユーチューブ動画を見つけてしまいました。暗い地下の丸い管を通っていく路線全部を撮影している動画もあり、ロンドンの地下鉄の音を聞いていると、懐かしくなりまた無性に行きたくなってしまいます。