Henry VII~From the United Kingdom

2023.12.28

英国史雑学

ヘンリー8世は6人のお妃を持ち、強引に離縁し、イギリスの宗教改革までしてしまった暴君のような存在としても有名です。でもその父君のヘンリー7世、どんな人物だったのか、ちょっとご紹介しましょう。

ヘンリー7世をインターネットで検索すると、薔薇を持った右手と左手を前にし、頬のこけた王様の肖像画が出てきます。威厳のなさそうな狡猾そうなその表情。そんな肖像画がお見合いのために描かれていました。この画が48才のヘンリー7世、妻のエリザベスとし死別し、婚活中。ローマ皇帝の姫君へ求愛のために描かれたこの肖像画ですが、結局破談となります。どうしてこんな画でお見合いが成功すると思ったのでしょうか。描かせた画家の画力が真摯過ぎたのも、破談の要因ですが、肖像画ができあがる前に誰も何も言い出せなかったのは、まさに裸の王様。

ヘンリー7世は、ボズワースの戦いでリチャード3世に勝ってその王座を手にしました。シェークスピアに悪名高く描かれたリチャード3世のお話も、シェーンのお役立ち情報でご紹介していますが、二人の幼き王子の殺害のお話もありました。ロンドン塔で少年たちの遺体が発見され、リチャード3世が殺害に関与したことは明らか。その2人の王子の姉エリザベス・オブ・ヨークは、ヘンリー7世の后となり、非業の死を遂げた2人の王子たちの血筋を王室に残しているですから、何とも歴史は面白いものです。

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そのヘンリー7世の婚活には、別の思惑もありました。ヘンリー7世の長男アーサー王子との結婚を決めた、スペイン王女のキャサリン・オブ・アラゴンにも目は向けられています。息子のアーサー王子が急死し、キャサリン王女との結婚を諦めなければならなかったところ、ヘンリー7世は自分の妻に迎えよう考えたのです。それもアーサー王子を亡くした翌年、エリザベス王妃を亡くして間もなくのことです。スペインからの莫大な持参金もほしい、また自分の血を分けた王子がほしいと考えていたヘンリー7世。でもスペインのキャサリン王女の父から反対され、断念します。どこまでも図々しい、いえ、たくましい考えの王だったのでしょうか。結局キャサリン王女は、次男のヘンリー8世と結婚し、またイギリスの歴史は大変な様相を呈します。

ヘンリー7世は1509年4月21日に結核で薨去します。お見合いの肖像画が描かれて4年後のことで、ヘンリー7世が崩御してすぐに、ヘンリー8世は待たされ続けたキャサリン・オブ・アラゴンとの結婚を断行します。強引な結婚式の後すぐに、戴冠式を行い、ヘンリー8世は国王に、キャサリン・オブ・アラゴンは王妃となりました。シェーンのお役立ち情報の英国コラムも併せてご覧ください。

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※写真はヘンリー7世の肖像画と薨去された今のリッチモンド。国王と女王の居住地だったリッチモンドパレスの近くは、リッチモンドバークになっています。