Sir John Major~From the United Kingdom

2023.11.28

英国史雑学

オックスフォード、オックスフォード、オックスフォード、オックスフォード、オックスフォード、エディンバラ、オックスフォード。

  • Sir John Major~From the United Kingdom

オックスフォード、オックスフォード、オックスフォード、オックスフォード、オックスフォード、エディンバラ、オックスフォード。一体これは何でしょうか???

実はイギリスの歴代首相たちの、今のリシ・スナク首相から遡った元首相たちの出身大学です。イギリスのエリートたちが目指すオックスフォード大学、その出身者ばかりの首相たちですが、実は1990年にサーカスの団長の息子がこのイギリスの首相に任命されました。そして2022年9月のエリザベス女王のご逝去の際に、その元首相が一番多くニュースでコメントを求められているのを観ました。

1979年から11年以上にわたって首相を務めた「鉄の女」マーガレット・サッチャー氏に代わって、1990年11月にジョン・メージャー氏が首相に就任しました。ジョン・メージャー氏の最終学歴は公立のラトリッシュスクール。それも学業は苦手で中途退学しています。父親の体調も思わしくなかったこともあり、持ち家を手放し、賃貸の集合住宅で暮らすようにもなっていたそうです。15才で学校からも離れてしまったジョンでしたが、銀行員の資格を通信教育で取得もしています。さまざまな職を見つけては辞め、いつしか保守党の集会に参加し、銀行での見習いの仕事を続けながら政治の道へと進んでいきます。

ジョンの父トム・メージャーボール氏は、ほんとうにサーカスの団長だったのでしょうか。ジョン・メージャー首相が誕生した時に、【英首相メージャーの素顔--「サーカス団長の息子」がトップに登りつめるまで】という本も書かれていたようです。それで父=サーカス団長と結びつけていたようですが、トム・メージャーボールはミュージックホールやサーカスでその芸を披露していた人。化粧をした道化た写真も見かけました。最初の妻も芸人でしたが事故で亡くなり、その妻の看護をしてくれたダンサーのグウェンと再婚したトム・メージャーボール。二人の間には4人の子があり、その一人のジョンが未来のイギリス首相となりました。両親はやがてガーデンなどの装飾品を販売する仕事を始め、最初はそれなりの生活環境は保てていたようです。父親とは1962年に、母親とは1970年に死別し、ご両親はジョンの首相の姿を見ることはかないませんでした。

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ジョン・メージャー氏は80年代のサッチャー政権から、90年代に政権を引き継ぐことになります。90年代はイギリス王室にとってさまざまな事件が起こります。アンの離婚、チャールズの醜聞とダイアナの暴露本出版から夫妻の別居、そしてセーラの醜聞から始まるアンドリュー夫妻の別居、ウィンザー城の火災と、1992年は「ひどい年」と女王は嘆いています。さらに1997年のダイアナの事故死。残された二人の王子のこれからがとても心配されました。エリザベス女王は「ひどい年」を共に支えてくれたジョン・メージャー氏を、その後ウィリアムとヘンリー王子の特別後見人に任命しました。1997年に労働党に政権交代しブレア政権に代わってからも、ジョン・メージャー氏とロイヤリファミリーの関係は続きます。

ジョン・メージャー氏は1999年にコンパニオンズ オブ オナー勲章を、2005年には最も高貴なガーター勲章とナイトの称号も授与されます。2012年には日本で天皇から旭日大綬章を叙勲されています。これはイギリスと日本の間貿易の促進のためのキャンペーンを推進し、その貢献が認められたからでした。2011年のウィリアム王子の結婚式はもちろん、2018年のヘンリー王子の結婚式にも歴代首相で唯一招待されています。2022年9月のエリザベス女王の国葬では、メージャー夫妻に上席が用意され、歴代首相たちよりも一番先にその席に案内されていました。

イギリスの政治は詳しくありませんが、イギリスのポンドを守ってユーロを流通させなかった人が、高校中退の首相だったことは印象深く残ります。人には学歴だけでつけられない素質というものがあります。どんな家庭に生まれようと、強い志がその人を高いところに押し上げてくれるのだと、サー・ジョン・メージャー氏の顔を見るたびに思ってしまいます。そしてサー・ジョン・メージャー氏の英語を聴いていると、その内容がしみ込んでくるのはなぜなのでしょうか。とてもわかりやすく、的確なコメントと感じ入ってしまいます。

※写真の1枚はジョン・メージャー元首相が育ったロンドン南部のブリクストン。アフリカからの移民のコミュニティで、デヴィッド・ボウイの出身地として大きな肖像の壁画も迎えてくれます。