If I can~From the United Kingdom
2024.05.21
「私ができるなら」。この言葉を座右の銘にしていた、意匠家・工芸家のウィリアム・モリス。イギリスのヴィクトリア時代の19世紀の半ばから世紀末にかけて、その生涯を自分の使命を果たすため働き続けました。美しいものを創り出す喜びが、モリスをそうさせていたのでしょうが、1日中仕事に熱中していたと言われています。1896年10月3日、モリスが62歳で亡くなった時、医師は死因を「ウィリアム・モリスだったから」と家族に伝えたそうです。
大量生産ではない美しいものを創る―アーツアンドクラフツという運動を起していたモリスですが、これは美術と工芸に留まらず、社会運動にもなっていきます。労働者を劣悪な環境で長時間働かせる資本主義を否定、社会主義を提唱しその活動も続けます。モリスに冠された「モダンデザインの父」、でもその肩書には芸術家であり会社経営者であり、織物をはじめとする意匠家であり工芸家、詩人、作家、翻訳者、出版印刷業者、社会主義者と多岐にわたっています。
仕事におけるこだわりもすごいものでした。繊維の染色において化学染料を嫌い、安価な量産は認めず、自分の中の美しいレッサーアート-小芸術に偏執的になっていきます。その製作にこだわれば、その分高価なものになってしまいます。小さい美にこだわってほしい労働者たちにモリスの創り出すものは手が届きません。またここにモリスのジレンマがありそうです。
If I can―私ができるなら―Si je puis
このモリスの座右の銘、これは15世紀の画家、ヤン・ファン・エイクの言葉からの引用のようです。ヤン・ファン・エイクはロンドンのナショナルギャラリーの名画、「アルノルフィーニ夫妻像」を描いた画家。白く細い顔立ちの牧師さんのような夫と、お腹のふくらんだ緑のドレスを来た妻の全身が描かれたあの不思議な画です。解説を読むともっと摩訶不思議になってしまいますが、モリスがモットーとしたその言葉、それは尊敬していた画家の言葉でもありました。
モリスが新婚時代を過ごしたロンドン郊外のレッドハウス。この窓のステンドグラスには、フランス語のSi je puisの文字がくり返し踊っています。私ができること、そう自分を鼓舞して働き続けたモリス。美しいものを創り続けるこだわりが、モリスの62年半の生涯に凝縮されて、今の時代にも生き続けています。
※ガーデンに続く扉のベンチのタイルにも今は退色してしまってわかりづらいのですが、Si je puisの文字が見つかりました。右から2列目の上から2番目がそうです。