ビートン夫人の家政本 Mrs. Beaton’s Book of Household Management ヴィクトリア時代にもカリスマ主婦がいました

2023.01.11

英国史雑学

イギリスのアンティークがとても好きですが、なかなかイギリスに行くことはできません。そんな時は日本のイギリスアンティークのお店に出かけます。その時に見つけたのがビートン夫人の料理本のイラストを切り抜いた額装。さすがに大きなものはとてもお高くて購入できませんでしたが、葉書ほどのサイズのイラスト、そこにお肉料理が描かれ、ついつい買ってしまいました。

ビートン夫人はヴィクトリア時代の一夫人でしたが、料理のレシピや盛り付け方、食材や食器類、テーブルセッティング等を図入りで紹介し、見本となる家政本を1冊にまとめ上げました。まずはビートン夫人がどんな人物だったかをご紹介していきましょう。


イザベル・ビートンはカリスマ主婦???

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ヴィクトリア時代にもカリスマ主婦がいました

イザベラ・メアリー・ビートンは1836年の生まれ。1856年にサミュエル・オーチャート・ビートンと結婚してビートン夫人となります。ビートン夫人はドイツに留学した才人で、一般教養以上のものを持っていたようです。夫のサミュエルは出版社を経営し、編集者としても実務に携わっていましたが、イザベラと結婚して間もなく、妻に雑誌のコラムを任せます。

最初は料理のレシピの紹介を雑誌の付録のコラムとして発行していましたが、やがて1冊の本になるとこれがベストセラーとなり人気を呼びます。日々の生活の指南をしてくれる、ミセスビートン・ブック・オブ・ハウスホールドマネジメントは、中流階級の主婦たちがこぞって買い求めます。

しかしビートン夫人の家庭は大変なことになっていました。ビートン夫人は執筆と編集の仕事をしながら長男を出産しますが、生後間もなく長男は病死。次男も続いて亡くしますが、1863年に誕生した三男のオーチャートは健やかに成長します。その後も1865年に多忙な仕事を抱えながら、四男メイソン・モスを出産しますが、今度はビートン夫人が産褥熱で早世。28歳の人生の幕を閉じました。

産後の高熱は免疫低下、細菌感染が原因です。現代と比べて衛生状態が悪かった時代ですから、出産で命を落とす女性は確かに多かったようです。19世紀半ばのドイツでオーストリアでは、産褥熱の原因は衛生状態の悪さと判明し、手指消毒を始めていましたが、まだまだその徹底は広がらず、ビートン夫人の命は救えませんでした。

多忙だったビートン夫人は料理もほとんどはメイド任せだったようです。4人の子どもを出産しながらも、家政本の仕事を続けていました。家政本を作りながら、結局ビートン夫人は早世したためその家庭生活は短いものになります。しかしその名は150年以上たった今も多くの人々が家政本として認め、要約されたペーパーバックが出版されています。


ビートン夫人の料理レシピ

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ヴィクトリア時代にもカリスマ主婦がいました
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ヴィクトリア時代にもカリスマ主婦がいました

驚くべきことに明治9年に日本で「家内心得附録」のタイトルで、ビートン夫人の本が翻訳されていました。図はなく具体的なことは記されてはいませんが、イギリスで1861年に初版本が発行されてから、わずか15年で日本にもその名が届いていたというわけです。明治40年には「西洋料理の栞」として日本で出版され、ビートン夫人の料理を紹介しています。その中から作り方をご紹介していきましょう。

スープの作り方

スープの材料は「一升餘りの原料スープを製するには多少肉の付着した新鮮な脛骨四ポンド、人参二本、玉葱二個、丁子三四個、胡椒と塩を加味」とあります。新鮮な脛肉を四ポンドと書かれてもどこの脛なのか、単位のポンドもわからない時代。ただの英語の翻訳のまま、書き連ねてあります。製法は「骨を砕きスチュー鍋に入れ香料と胡椒、塩を加味し蓋を固くおおい五六時間程焚き上皮に浮ぶ槽を掬い、後、これに野菜を粗刻みにして投じ再び一二時間焚きたる…」と続きます。作り方は現代の私たちには理解できそうです。ただ明治の人にスチュー鍋とは、どんなものか想像もつかなかったことでしょう。

牛肉の料理方法

ビーフステーキの製法は、「一人前に切りたるステーキ肉を強く叩きて平たくしフライパンにヘッド(テーブル匙に一杯程)を入れ強き火にかけ充分熱したる上、肉を置き塩、胡椒を少々振かけ両面を各五分程焼く、…」と書かれています。このステーキの作り方は、今の私たちにはわかります。ただフライパンとヘッドは明治時代の人にはわかることなのでしょうか。注意書きに「一人前のステーキは凡二十五匁とす」とあり、一匁は3.75gなので93.75gくらいにしています。牛鍋はごく一部の人たちには食されていますが、牛肉の臭味はまだまだ日本人には受け入れられない時代でしたから、やはり異国の食事だったと思われます。

玉子の料理方法

玉子の料理法はいくつか紹介されています。その中からスクランブルドエッグスをご紹介しましょう。材料は「三人前として玉子六個、バター一オンス、ペパー、塩、トーストブレッド」を使います。製法は「ソース鍋を用ひバターを入れ玉子を割落しペパー、塩を加味しフォーク(Fork)を用ひて能く掻き交ぜ、これを火にかけ尚かきまぜつつ、稍二分間にて出来るなり、トーストブレッドを添へて食す」と記されています。英語を忠実に訳しているので、今の和製英語の氾濫よりもわかりやすい表現になっています。

明治40年に西洋料理を広めようとした日本。西洋料理は「滋養分に富みたる」材料を使うことで、栄養のバランスを十分考えていることで西洋料理を広めたいことがわかります。またこの本の中では「西洋料理といへばとて肉食のみに限るにあらず」と、比較的見慣れた卵などの料理のレシピを紹介していることも伺えます。

※写真はビートン夫人家政本から肉料理と魚理料理


新米主婦ビートン夫人のアイディア

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ヴィクトリア時代にもカリスマ主婦がいました

ビートン夫人は夫を家に早く帰宅させるためには、妻の料理の腕だと書いています。美味しい食事が待っていれば、男性たちの足は自然と家に向くことでしょう。ただし現実のビートン夫妻の生活は、夫のサミュエルは仕事で帰宅は遅い時間でした。ビートン夫人は先に休み、メイドに夫の料理の指示を出します。すれ違い生活の中でも夫の夕食は温かいものとメイドに伝えています。

家政本の執筆と編集、家事と子育て。料理人とメイドたちと庭師を雇い、家事と仕事を両立させていたビートン夫人は、ヴィクトリア時代では珍しく働く女性でもありました。家政本に携わるきっかけ、それは新米主婦が疑問に思う家事のいろいろを知りたかったからだと言われています。

出版されたビートン夫人の料理のレシピも、ほとんどは料理人たちと生み出したもののようです。それでも新米主婦の観点から、頼れる情報を発信するというそのアイディアは斬新なものでした。経験がなくてもできることは発想。ありそうでなさそうなものが、人々の関心を引き、多くの本を生み出し出版を重ねていったのです。

ビートン夫人は主婦のための家政本で偉大な功績を残し、夫のサミュエルの会社にも貢献したはずですが、やがて夫は会社の経営に失敗し、その版権を別の出版社に売却することになります。あまりにも安い売却金額のうえに、夫のサミュエルはその買い取られた出版社であまり高くない給料で働くことになります。

やがてサミュエルは身体を壊し、イザベラが亡くなってから12年後にこの世を去ります。名は遺したけれど財は残せなかったサミュエル・オーチャート・ビートンは46年で生涯を終えました。ビートン夫妻は家庭ではいっしょに過ごすことは少なかったけれど、今はロンドン南部の墓地で揃って眠りに就いています。

※写真はビートン夫人の家政本からパーティ用の冷たいお肉料理とサラダ